【追悼】今日で阪神淡路大震災から27年

みなさんこんにちは、りょうです。

 

本日、1月17日は阪神淡路大震災が起きて27年の日です。

毎年この日には震災のときに思いを馳せて一日を過ごします。

神戸にいたときには当時のことを周りの人と話し合うのが恒例でした。

 

1.阪神淡路大震災の被害について

 

2.被災者である私たちができること

 

3.神戸のみんなが大切にしている歌

 

1.阪神淡路大震災の被害について

 

私は当時2歳でした。神戸に両親、弟と4人で住んでおり、もろに被害を受けました。

幸い、家族に怪我はなく家の中も食器が数枚割れたのみで住みました。

 

しかし、この地震での死者数は6434名、行方不明者3名、全壊の家屋は104,906棟ありました。

 

数字で並べるだけでもこれだけの被害がありました。

しかし、大事な家族や家を失った悲しみや地震への恐怖など被災者の精神的な苦痛は数字では表すことはできません。

27年経った今もその苦痛は消えることはないでしょう。

 

2.被災者である私たちができること

 

震災を経験し、小学校入学から高校卒業まで防災教育を受けてきた私たちができること、それは『震災の経験を次世代に継いでいき、風化させないこと』です。

私は、小学校入学から高校卒業まで毎年防災や助け合い、ボランティアについて考える機会を与えてもらい、震災に関する教育を受けてきました。

大学院を卒業し、兵庫県で4年間教員をしていた頃には、今度は教育をする側となって子どもたちに震災について考える機会を与えてきました。

 

日本に住んでいる以上、地震を避けることはできません。

しかし、日頃からの防災を行うことで地震の被害を最小化することはできます。

また、万が一の際にはお互いに助け合い、心の支えになることで悲しみを少しでも小さくすることができるかもしれません。

 

大きな地震を経験し、悲しみを味わい、世界中の方々に助けてもらった経験を次世代の子供たちに受け継ぐことが被災者の使命であると感じます。

この思いは神戸を離れた今も変わりません。

 

3.神戸のみんなが大切にしている歌

 

神戸出身の私たちが大切に歌い続けてきた歌があります。

それは、『しあわせ運べるように』です。

震災当時、吾妻小学校に勤務されていた音楽教師の臼井真先生が、震災の悲しみを少しでも小さくできるようにと、震災直後に作詞作曲された歌です。

臼井先生自身も自宅が全壊するという被害を受け、学校と避難所を往復するという生活の中でこの曲を作られました。

震災が起きた直後、2月27日に小さな発表会で披露されました。

私が小学校に入学する1999年には神戸市中の小学校で歌われ、今の小学生にも歌い継がれています。

神戸市民でこの曲を歌えない人はいないのではないでしょうか。

 

この曲を知らない方は一聴してみてもらえたら嬉しいです。

 

【合唱+ピアノ】『しあわせ運べるように』(神戸オリジナルバージョン)

 

歌詞を記載します。

 

『しあわせ運べるように』

作詞作曲 臼井真

 

1.

地震にも 負けない 強い心をもって

亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう

傷ついた神戸を もとの姿に戻そう

支え合う心と 明日への 希望を胸に

響き渡れぼくたちの歌 

生まれ変わる神戸のまちに

届けたい わたしたちの歌 しあわせ運べるように

 

2.

地震にも 負けない 強い絆をつくり

亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう

傷ついた神戸を もとの姿に戻そう

やさしい春の光のような 未来を夢み

響き渡れぼくたちの歌 

生まれ変わる神戸のまちに

届けたい わたしたちの歌 しあわせ運べるように

届けたい わたしたちの歌 しあわせ運べるように

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